2019年 01月 02日
「小倉乾燥芋」と「山王地区樫ぐね」ポタ 5 樫ぐね、光巖寺など
ブログ、拝読しました。
鬼鎮神社の手水舎、百舌さんもやっちゃいましたか(笑)
水で清めて、さあ参拝と背筋を正したところで、ゴーンですからね。
でもあれはやっちゃいますよね。ちょっと低いですもの。
おー、百舌さんの生家にも樫くねがあったのですね。麦わら葺き屋根というのが粉もの文化圏という感じがします。
埼玉でも昔は樫ぐねを見かけましたけど、最近はあまり見かけなくなりました。隣家との日照の問題とかもあるのですね。
風を遮断するのではなく和らげて強風に耐えるという考え方は素晴らしいと思いました。
樫ぐね、初めて見ました。
すごい高さのある生垣なんですね~いや防風林かっ(笑)
これだけの高さの剪定も大変そう!
高崎経済大学の戸所隆先生の論文、読んでみました。
やはりこれだけの大きさの養蚕農家の家屋だと
維持するのには本当に大変ですよね。
他の地域に先駆けて明治の頃から水整備や道路などが早く出来たのも
養蚕業が発展した大事なことのひとつだと思いました。
生活している方にとって文化遺産の指定を受ければいいものでもない
という不安もわかるような気がします。
難しい問題とは思いますが、このような養蚕農家さんの古民家を
ぜひとも集落で残してほしいものですね。
樫ぐねは昔は埼玉でも見かけましたが、今はほとんどないですね。
皆野町に数年前まではありましたけど、今はわかりません。
しかも一つの集落にこれだけの数が残っているのは圧巻です。
剪定は職人さんが手際よく作業されていました。
論文お読みいただいてありがとうございます。
多くの方にとって論文って縁遠いものだとは思いますが、
とても興味深く役立つものもたくさんあるので、
今回は妻沼の手づくり市の記事に続き、貼ってみました。
10年以上前の論文なので、生活している方の意識が今どのように変わったのか、変わらなかったのかは気になるところです。
養蚕業は産業としては衰退しましたが、地域にもたらしたインフラや文化は今も都市のあり方に影響を与え続けていると感じます。
そうなんですよ、おっしゃる通り、個々ではなく集落で、というところが大切だと私も思います。コミュニティでの文化形成というまとまりが宝なのです。