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「小倉乾燥芋」と「山王地区樫ぐね」ポタ 5 樫ぐね、光巖寺など

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旧本間酒造さんのすぐ近くの光巖寺、前回は法事中で境内に入れなかったので、再びやって来ました。でもその前に・・・

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お寺の前にある方墳「宝塔山古墳」を見学。みどさんは初めて。

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古墳の上から赤城山方面の眺め。

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悠久の歴史を感じる石室。

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古墳見学の後、お寺に参拝。秋元氏の菩提寺。立派な長屋門。

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薬医門。元々は総社城の城門だったそうな。

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大きな御本堂。

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楼門。文化年間に造られたもの。彫刻など装飾が施されています。門はいつも閉じてます。

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見事な天井画。四季折々の花が描かれています。

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次にいよいよ「樫ぐね」のある山王地区へ向かいます。しかし、場所は県外者にとっては非常に難しい。大渡橋のすぐ近くで光巖寺と同じ総社にあるのですが、大きな道を走っていては外から古い街並みを確認することはできません。

こんなところに古い街並みが残っているのか、と思う、田園風景ながら新しい住宅街や工場、幹線道路に囲まれた中に、ぽっかり浮かぶ島のように山王地区はありました。養蚕で栄えた地区です。

地図などを見ても分かりづらく、標識も少ないのですが、「山王廃寺」「日枝神社」の標識がところどころにありますので、それを目指すといいでしょう。

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古い街並みに一歩踏み入れると、ありましたー、この壁板のような生垣が「樫ぐね」です。ちょうど庭師さんが剪定中でした。

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周囲の喧騒が嘘のように、まるでタイムスリップしたかのような空間です。

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狭くて細い路地を走っていくと・・・

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山王廃寺(日枝神社)に出ました。ここにも見事な樫ぐねがあります。駐輪場があるのがうれしい。山王廃寺は後ほど見学します。

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まさにそびえる壁といった感じで圧巻です。上州名物からっ風から守る防風林です。

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このような樫ぐねがいくつもあるのです。

ちなみに山王地区の街並みや樫ぐねについては、高崎経済大学の戸所 隆先生の論文「文化的景観としての養蚕農家とその保存活用政策:前橋市総社町山王地区を中心に」がとても分かりやすいので参考になさってください(「機関リポジトリ」をクリックして、pdfを開いてください)。

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決して広い地区ではないのですが、よくここまで古い街並みが守られているなあと思います。

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縫うように色々な道に入ってみます。養蚕が盛んだった頃を偲ばせます。

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街の景観に配慮した色使い。

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高窓のある民家も残っています。私、子供の頃に習い事をしていた場所が養蚕農家の2階で、養蚕の道具に囲まれていました。独特の匂いはまだ覚えていますね。


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剪定前の樫ぐね。手入れ大変だなぁと思います。費用もかかるでしょうし。

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西の入り口にあるこちらはすごい。交通量が多いので気をつけて見学しましょう。

その6へ続きます・・・



Commented by mozu at 2019-01-02 20:08 x
こんにちは。ねこぜんさん百舌も本日水屋でゴツンして笑ってしまいました。そーかこれだったのかと思いました。総社の古墳以前に訪問したことを思い出しました。樫くねは、優れものですね。完全に風を遮断しないので強風に良く耐えています。北関東の生家は麦わら屋根でしたので、屋根が飛ばないように樫くねで守られておりました。集落は似たような風景でしたので、年に一度は職人さんが入って刈り込んでおりました。生家の樫くねは、隣家との日照の関係で今はなくなってしまいました。百舌。
Commented by ねこぜん at 2019-01-02 23:35 x
百舌さん、こんばんは。
ブログ、拝読しました。
鬼鎮神社の手水舎、百舌さんもやっちゃいましたか(笑)
水で清めて、さあ参拝と背筋を正したところで、ゴーンですからね。
でもあれはやっちゃいますよね。ちょっと低いですもの。

おー、百舌さんの生家にも樫くねがあったのですね。麦わら葺き屋根というのが粉もの文化圏という感じがします。
埼玉でも昔は樫ぐねを見かけましたけど、最近はあまり見かけなくなりました。隣家との日照の問題とかもあるのですね。
風を遮断するのではなく和らげて強風に耐えるという考え方は素晴らしいと思いました。
Commented by はしびろけろ at 2019-01-03 20:18 x
こんばんは

樫ぐね、初めて見ました。
すごい高さのある生垣なんですね~いや防風林かっ(笑)
これだけの高さの剪定も大変そう!

高崎経済大学の戸所隆先生の論文、読んでみました。
やはりこれだけの大きさの養蚕農家の家屋だと
維持するのには本当に大変ですよね。
他の地域に先駆けて明治の頃から水整備や道路などが早く出来たのも
養蚕業が発展した大事なことのひとつだと思いました。
生活している方にとって文化遺産の指定を受ければいいものでもない
という不安もわかるような気がします。
難しい問題とは思いますが、このような養蚕農家さんの古民家を
ぜひとも集落で残してほしいものですね。
Commented by ねこぜん at 2019-01-03 22:32 x
はしびろけろさん、こんばんは。

樫ぐねは昔は埼玉でも見かけましたが、今はほとんどないですね。
皆野町に数年前まではありましたけど、今はわかりません。
しかも一つの集落にこれだけの数が残っているのは圧巻です。
剪定は職人さんが手際よく作業されていました。

論文お読みいただいてありがとうございます。
多くの方にとって論文って縁遠いものだとは思いますが、
とても興味深く役立つものもたくさんあるので、
今回は妻沼の手づくり市の記事に続き、貼ってみました。

10年以上前の論文なので、生活している方の意識が今どのように変わったのか、変わらなかったのかは気になるところです。

養蚕業は産業としては衰退しましたが、地域にもたらしたインフラや文化は今も都市のあり方に影響を与え続けていると感じます。

そうなんですよ、おっしゃる通り、個々ではなく集落で、というところが大切だと私も思います。コミュニティでの文化形成というまとまりが宝なのです。
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by cornersmile-kun3 | 2019-01-02 11:08 | 自転車(ツーリング2018) | Comments(4)